宮崎義一『現代企業論入門』有斐閣,1985年

「働かざるもの食うべからず」とは,時代や体制を問わず妥当する,人類普遍の格率であろう.しかしわれわれニートは,各々固有の事情のもと,働かざるとも生きてゆける.なぜであろうか.この問に答えるためには,現代資本主義がいかなるものであるかを確認する作業が不可欠であると思われる.
 宮崎は,現代資本主義をコーポレィト・キャピタリズムと規定する.19世紀末から20世紀前半の株式会社制度の確立,所有と経営の分離を経て,資本主義は経営者資本主義と呼ばれる段階へ移行した.そしていま,資本主義はコーポレィト・キャピタリズムへと移行したのである.かくなる資本主義の変容がわれわれの生活にとって何を意味し,どのような影響を実際に及ぼし,及ぼそうとしているのかを知ること,言い換えると,コーポレィト・キャピタリズムという視座から経済社会を見つめなおすことによって,現代資本主義と対座することの必要性を,本書は提起している.
 古典派,及び新古典派は企業を点として捉え,消費者主権の貫徹した世界を描くとされる.だが企業は明らかに点ではなく,消費者は生産者側の広告を通じた戦略的操作によって企業の意のままに操られている.すなわち生産者主権の確立であり,資本主義を動かす第1の経済主体は企業というべきであろう.また同様にして,完全競争市場はいまや存在せず,寡占市場体制が支配するに至った.(付言すれば,これらの変化に基づいて新古典派の「非現実性」を批判するのは,論点相異の虚偽というべきであろう.例えば完全市場という概念がなければ,不完全市場という認識もまた存在しえず,また現実を知り評価する視点も得られないからである.)
 本書が含む多様な,そして重要な論点の中でも私がとくに関心をもつのは,株式の保有構造に関する議論である.株式会社が成立し,株主が分散するにつれて,経営者が会社を実質的に支配することができるようになった.だが,企業拡張の主要手段としてM&Aが一般化するにつれ,株主がいま一度会社の支配権を握ることになる.また現在,多くの株式会社の大株主は,個人ではなく株式会社そのものであり,会社が会社を支配するに至る.その支配権を握る会社を支配するのが当会社の経営者であるとしても,M&Aを実行する上で自社の株式価値を増大させることは至上命題である.かくて所有と経営の分離は不明確となり,誰が会社を支配しているのかも,会社は何を目的として行動するのか,そもそもなぜ誰のために会社が存在しているのかも不明確となる.あくまで諸個人の富拡大の手段にすぎなかったはずの会社が,個人の手を離れて一人歩きをし始め,そしてわれわれの生きるための目的にすらなる.すなわち株式会社が人間,あるいは社会を従属せしめ,そしてその会社は会社の存続と拡大をその自己目的とする.ここに現代社会の矛盾が見えてくる.
 かかる論点を含め,本書は現代資本主義認識の視座をわれわれに与えてくれるものとして,決して古びてはいない.まさに現代の古典という名に相応しい一冊である.